日本語学習者の約7割が「文法より語彙」「英語で学びたい」
にもかかわらず、日本語講師養成講座『420時間コース』では『英語は原則使用禁止』『文法を中心』の教え方を伝統としています。

日本語教師を目指す方へ:養成講座選びにご注意を

420時間日本語教師養成講座の実態レポート
近年、日本語教師(日本語講師)のニーズの高まりにともない、全国で日本語教師養成講座が急増しています。しかし、中には実態とかけ離れた内容や、就職支援が不十分な講座も存在し、トラブルが発生しているケースも報告されています。
日本語教育の現場で本当に求められる力を身につけるためには、養成機関の質や制度の理解が欠かせません。これから日本語教師を目指す方に向けて、現状を知っておくべき参考記事をご紹介します。
週刊ポストウエブ版で報道された日本語教師養成講座のトラブル。日本語教師養成講座420時間コースを既に受講中の方もお読みください。
● 日本語教師養成講座の資料をいくつか取り寄せ説明会にも参加した主婦の弁
「養成講座の参加者は定年後のお年寄りか、主婦。日本語教師として正規に雇ってもらうには、日本語教育能力検定試験に合格するか、4年生大学の日本語教育コースか国文科卒業と同等以上の学歴が必要なことがわかった」。
「日本語教師養成講座では、教壇実習もあわせて日本語教師養成講座420時間コースを終了する必要がある。期間はたいてい6ヶ月で費用は50~60万円。講座を受講してもらおうと熱心に誘うが、就職などについて丁寧に説明してくれるところはほとんどない。養成講座さえ受ければ、日本語教師になれるかのように誘う学校は少なくないが、実際はそうではない」。
● ある日本語学校の事務員の弁
「4大国文科卒か日本語教育能力検定試験(受験者の2割しか合格できない)合格者でないと雇えない」
● 受講した主婦の弁
「主婦にぴったりの資格、副業と、いかにも素晴らしい仕事であるかのように見せているけれど、生やさしいものではなかった」
● この他にも、当方に寄せられた苦情や情報は次の通り。
「養成講座の内容が、文法中心で日本語学習者に役立つとは思えない」
「国語や日本語学を学びに参加したのではない」
「日本語だけで教える直説法は先生にはよいが、初歩から学ぶ学習者にはチンプンカンプンなはずなのに、どうしてそんな教え方をするのか」
「学んできた英語を活かせる絶好の仕事のはずなのに、英語をほとんど使わないという現実にがっかりした」
日本語教師養成講座420時間コースにこのような側面があります。申し込む際には実態を理解した上でお申し込みください。日本語教師養成講座420時間コースに疑問をもたれる方は、ぜひ私たちの講座と比べてみてください。私たちは講座修了者が仕事でご活躍されることをモットーにしています。
Super-J®設立の背景
英語が使える日本語教師が、今、世界に求められています
オンラインで世界中と瞬時につながれる時代。
今、求められているのは、日本語だけで教えるという固定観念にとらわれず、
学習者一人ひとりの言語背景や文化に寄り添い、柔軟に導くことができる「英語が使える日本語教師」です。
実際、日本語を流暢に話せても、日本社会にうまく溶け込めていない外国人が少なくありません。
その背景には、「ことば」だけに偏った日本語教育と、
文化や価値観を共有する視点の欠如が見られます。
さらに、日本で生まれ育った多くの日本人にとって、
「自分たちの文化を言語化し、他者に伝えること」は日常的な経験ではありません。
だからこそ、日本語教育に携わる人々には、
言語とともに文化を“意識して伝える”という役割が求められているのです。
スーパーJは、ことばと文化の両方を伝え、分かち合える日本語コーチの育成を通して、
これからの日本社会を支える礎を築き、
日本の未来の一隅を照らす存在でありたいと願っています。
日本語教育業界の歴史
「日本語教員養成期」としての1980年代初頭
現在、全国各地で開講されている「日本語教師養成講座」ですが、 その原点は1980年代初頭にさかのぼる「日本語教員養成期」と呼ばれる時代にあります。 この時期は、日本語教育が制度として整備され始めた初期段階であり、現代の日本語教育業界において非常に重要な転換点となった時期です。 しかしながら、この歴史的背景は一般にはあまり知られていません。

留学生政策と日本語教育の転機
この「日本語教員養成期」の背後には、日本政府の外交・教育政策の大きな転換があります。
特に注目すべきは、1983年に当時の中曽根康弘内閣総理大臣がASEAN諸国を歴訪したことです。
その外交活動の中で、日本はアジア諸国に対して“軍事ではなく教育と人的交流を通じて関係を強化する”という方針を打ち出しました。
これを受けて、同年には「留学生政策に関する各種提言」が発表され、日本語教育の重要性が国家的な文脈で位置づけられるようになります。

「留学生10万人計画」と日本語教育業界の転換点
1980年代、日本政府は「留学生10万人計画」を打ち出し、日本語教育政策において大きな転機を迎えました。
この構想のきっかけは、1983年に中曽根康弘総理がシンガポールを訪問した際、現地の親たちから「子どもを日本に留学させたくない」という声を聞いたことだとされています。
この発言に衝撃を受けた中曽根首相は、国際親善の名のもとに、留学生の大幅な受け入れを表明したのです。
しかし、この「留学生10万人計画」は単なる友好政策にとどまらず、実際には日本経済の戦略的ニーズに根ざしたものでした。
バブル景気の好況下でありながら、当時の日本は少子高齢化と労働力不足の問題を抱えており、「3K職」への日本人の忌避も顕在化していました。
移民政策には根強い反発があったため、代替案として留学生受け入れが労働力確保の手段として位置づけられるようになっていったのです。
他国でも同様の動きが見られました。オーストラリアは、教育と生活環境を「輸出産業」として捉え、積極的に留学生を誘致。
アジア諸国では、日本への留学が外貨獲得手段として注目され、日本語学習が経済的投資の一環と見なされるようになりました。
その中で注目すべきは、多くの留学生が進学先として大学ではなく、日本語学校を選んでいたという事実です。
大学や大学院への進学は学力・言語面のハードルが高く、人数確保が困難だった一方で、日本語学校は受け入れやすく、ビザ取得と就労目的の手段として活用されやすい構造が生まれました。
この「留学生10万人計画」は、その後、安倍政権のもとで「留学生30万人計画」へと拡大されました。
さらに現在の岸田政権下では、この30万人という目標をさらに上回る新たな受け入れ拡大計画の策定が指示され、日本語教育現場への影響が今後も大きくなることが予想されます。
日本では留学生の就労が週28時間まで認められており、これにより学業よりも就労を主目的とする外国人が日本語学校に集中する傾向が強まりました。
一部の学校ではその実態を容認し、授業料を徴収する一方、授業中に眠る学生を黙認するというケースも報告されています。
こうした現場で教えるのが、日本語講師養成講座を修了し、日本語教育能力検定試験合格を目指して努力してきた日本語教師たちです。
彼らは、言語教育の専門性だけでなく、労働環境や制度の歪みに起因する課題とも向き合わざるを得ない状況に置かれます。
「資格を取ること」が目的化した日本語教師と日本語教育界のゆがみ
日本語教師バブルと「養成講座ビジネス」の拡大
1980年代から1990年代にかけて、日本語教育業界はバブル経済と重なり、「ダブルバブル」とも言える活況を呈しました。
留学生の増加に伴い、日本語教師の需要が急拡大。これにより「日本語教師養成講座」への関心も高まり、ビジネスとしての講座販売が急成長しました。
当時の日本語教育業界はこの成長を持続させるため、ビザ発給資格を持つ「告示校」としての地位の維持に注力します。
その一方で、文化庁の「日本語教育人材の養成・研修の在り方について(報告)改訂版」に準拠したカリキュラムを整備し、
文化庁への「届出受理講座」として申請・認可を受けることが、業界内での“安心材料”や“権威”として利用されるようになりました。
告示校ビジネスと制度の形骸化
「日本語学校を設立し、告示校としてビザ発給権限を持てば収益につながる」というビジネスモデルが確立。
認可要件の一つである「自社所有の建物」を満たすため、廃業したガソリンスタンドに仮設建物を設置して開設申請を行うといった事例も見られ、制度の本質よりも形式を優先する不健全な動きが広がっていきました。
日本語教師の国家資格化とその功罪
2023年5月、日本語教師を国家資格化する法案が成立しました。
業界内では「ついに実現」「安心材料になる」と歓迎する声も多く見られます。
しかし、こうした制度化が真に教育の質を高めるものであるのか、それとも既得権益を守るための枠組みにすぎないのか——
その本質は、現場の教師や学習者の目線から見なければなりません。
資格制度は安心感をもたらす一方で、「資格を持っている=教えられる」という形式主義に陥る危険もあります。
日本語教育界では今後、「資格志向」と「実践志向」の二極化が進んでいくことが予想されます。
日本語は誰のものか? 国家管理と文化の自由
言語や文化は誰かの“所有物”ではありません。
日本語は、世界中の学習者と愛好者が関心を持ち、関わり、育んでいくものです。
それを国家資格という枠で囲い込むことが、本当に教育の自由と多様性に貢献するのでしょうか。
もし、寿司に国家資格が存在し、製法や材料が法律で定められていたとしたら——
その「枠」が伝統や創造性を狭めてしまうように、日本語教育にも同じ危険性が潜んでいます。
Super-J®の立場:資格より志、権威より現場
私たちSuper-J®は、形式や資格という枠に依存するのではなく、
日本語と日本文化への敬意と情熱をもって、世界中の人々に学びの場を届け続けることを使命としています。
権威に依存せず、制度に盲目的に従うのではなく、実際に現場で学び、教え、支える人々の声を大切にします。
世界の日本語学習者が求めているのは、自由で開かれた教育です。
特定技能ビザと日本語学校制度の逆転現象
現在の日本語学校制度の下では、「学習」を名目に「就労」が実質的な目的となる構造が定着しつつあります。
一方、政府が導入した「特定技能ビザ」は、外国人労働者の公正な待遇とスキル評価を前提に設計された制度です。
本来ならば、こうした健全な制度が機能するためには、日本語教育業界が“隠れ蓑”ではなく、
真に学習の場として信頼される環境を整備する必要があります。
移民政策に対して慎重・懐疑的な立場をとる保守的な政治家たちも、
すでに長年放置されてきた日本語学校の構造問題にこそ目を向けるべきです。
「直説法」が採用された背景と、いま求められる転換
1980年代後半、「留学生10万人計画」が打ち出され、日本語学校は急増、いわば“日本語教育バブル”の時代が始まりました。
この初期段階で日本語学校に通っていた留学生の大半は中国出身者でした。
当時の中国と日本の間には大きな経済格差があり、多くの中国人がより良い教育環境と就労機会を求めて来日していたのです。
その後、日本と中国の経済的地位が逆転傾向を見せる中、留学生の中心はベトナム、ネパールなど他のアジア諸国に移っていきます。
これもまた、日本語教育が“経済移動”の入り口として機能していることを物語っています。
直説法が主流となった背景
日本語教育業界では、当時の主な学習者が漢字文化圏出身だったこともあり、「直説法(Direct Method)」が主流の教授法となりました。
直説法とは、日本語以外の言語を介さず、すべて日本語で教える方法です。
この方法は、英語に自信のない日本人でも教壇に立てるメリットがあり、養成講座などでは「英語ができなくても大丈夫」とうたわれるなど、講師サイドへの“安心材料”としても活用されてきました。

変化する学習者層と時代のズレ
しかし、21世紀に入り、留学生の出身国は多様化し、日本語を学ぶ人々の多くが英語を共通語とするようになりました。
現代では、英語は世界の標準語であり、学習支援言語として機能する重要なツールです。
ひらがなタイムズが2016年に実施した調査によると、在日外国人の約7割が「英語で教えてくれる日本語教師を希望している」と回答しています。
また、学びたい内容としては「文法」よりも「使える言葉(実践的な会話)」が求められており、
日本語を話すために「語彙の豊富さ」が重要であるという声も多く寄せられています。
固定化された教育法とニーズの乖離
これらの結果を踏まえると、日本語学校が依然として直説法に固執し続けている現状は、
学習者のニーズや社会の変化に対応できていないと指摘せざるを得ません。
教育とは、あくまで学習者の目的と背景に寄り添うべきものです。
その達成には、時代の流れに応じた柔軟性と、学び続ける謙虚さが教育者側に求められます。
もし業界がこの視点を欠いたまま「制度」や「資格化」だけに依存し続けるなら、
学習者との距離はますます広がり、本質的な日本語教育は失われてしまうでしょう。
海外との対比:自由で実践的な日本語教育の広がり
皮肉なことに、こうした制度依存が続く日本とは対照的に、海外ではより柔軟で実践的な日本語教育が広がりつつあります。
そこでは、言語教育が“資格”や“形式”ではなく、コミュニケーションの本質に重きを置いた形で展開されています。
日本の日本語教育業界も、形式から本質へのシフトが求められています。
直説法は万能ではありません。
今こそ、「誰のための教育か?」という原点に立ち返る必要があるのではないでしょうか。
新たな次元を切り開く言葉「スーパー」──その精神と日本語教育への挑戦
日本語教育業界が今、真の意味で発展・進化していくためには、
既存の制度や固定観念にとらわれない新しい視点とアプローチが求められています。
その象徴こそが、私たちが掲げる「スーパー」という言葉です。
「スーパー(super)」は、英語では above や beyond、つまり「〜を超えて」「〜の上位にある」といった意味を持ちます。
この言葉は、さまざまな分野で既成概念を打ち破る革新のキーワードとして活用されています。
各分野における「スーパー」の思想
たとえば、植物由来の代替肉「ビヨンド・ミート(Beyond Meat)」は、従来の肉という枠を超えた新しい食のあり方を示しています。
「スーパーコンピュータ」は、従来の計算性能をはるかに凌駕する技術革新の象徴です。
また、日本の教育政策でも「スーパーサイエンスハイスクール」という名称で、国の教育枠を超えた国際的な科学教育が展開されています。
そしてワインの世界には、「スーパー・トスカーナ(Super Tuscans)」という革新的な例があります。
イタリアのトスカーナ地方で、伝統的な原産地呼称制度にとらわれず、消費者にとって本当に美味しいワインを追求する姿勢から生まれたこの名称は、「ルールより本質」を重視する精神の象徴とされています。

「日本語教師養成講座420時間」と「Super-J®日本語コーチ養成講座」の3つの決定的な違い
「日本語教師になりたい」と思ったとき、多くの人が目にするのが「420時間日本語教師養成講座」です。
しかし、実はその一般的な養成講座と、私たちが提供する「Super-J®日本語コーチ養成講座」には、根本的な違いがあります。
ここではその違いを、「志向」「メソッド」「市場」の3つの観点から明確に整理します。

1.「志向の違い」
「日本語教師養成講座420時間コース」は「資格志向」で、教育課程は資格取得を目指す生徒たちを対象にしています。それに対して「Super-J®日本語コーチ養成講座」は「実益志向」で、生徒が実際に日本語を使いこなす能力を育てることに重点を置いています。
2.「メソッドの違い」
「日本語教師養成講座420時間コース」は基本的に「英語を禁止」する教育方法をとります。それに対して「Super-J®日本語コーチ養成講座」では「英語を推奨」します。
3.「市場の違い」
「日本語教師養成講座420時間コース」は主に「学生市場」をターゲットにしており、一方で「Super-J®日本語コーチ養成講座」は「社会人市場」をターゲットとしています。
1. 志向の違い:資格志向 vs. 実益志向
| 項目 | 420時間日本語講師養成講座 | Super-J® 日本語コーチ養成講座 |
| 教育の目的 | 資格取得のためのカリキュラム | 「現場で教えられること」を最優先 |
| 主な到達目標 | 「修了証」を得て就職活動に備える | 資格取得は通過点。学習者への貢献が最終目的 |
420時間講座は、資格を得ることを最優先とし、試験対策や理論中心の内容に偏りがちです。
一方で、Super-J®では、実際の生徒に教え、成果を出すことに重点を置いています。
2. メソッドの違い:英語禁止 vs. 英語活用
| 項目 | 420時間日本語講師養成講座 | Super-J® 日本語コーチ養成講座 |
| 教授法のスタンス | 英語を使わず、日本語のみで教える「直説法」 | 英語を適切に活用し、理解をサポートする |
| 対応する学習者のタイプ | 主に漢字文化圏出身者 | 多様な言語背景を持つ初心者にも対応可能 |
直説法は一定の効果を持ちますが、近年の日本語学習者は非漢字圏出身が増えており、英語での補助説明を求める声が高まっています。
Super-J®では、学習者の理解を第一に考え、英語を“戦略的に活用”する柔軟なアプローチを取ります。
3. 市場の違い:学生中心 vs. 社会人実務層
| 項目 | 420時間日本語講師養成講座 | Super-J® 日本語コーチ養成講座 |
| 対象とする学習者 | 留学生=学生(文法中心・パターン反復型) | 社会人・専門職・海外在住者など現実志向の学習者 |
| 授業スタイル | 教科書に沿った画一的なクラスルーム形式 | ニーズに応じた柔軟な個別指導・コーチング |
近年、日本語を学ぶ層は、実務で即戦力となる日本語力を求める社会人や、目的意識の高い学習者へと大きくシフトしています。このような社会人実務層を対象とした教育には、柔軟なカリキュラム設計、実践的な語彙運用力、そして一人ひとりの目的に応じたコーチング的アプローチが求められます。
志向の違い:「資格志向」と「実益志向」

「420時間養成講座」は資格至上、「Super-J®」は現場主義
「420時間日本語教師養成講座」は、その成り立ちからして「資格志向」に立脚しています。そこでは“学んだ証”として資格を取得することが目的となり、講座自体は知識の蓄積と「試験合格」に最適化された内容に傾きがちです。このアプローチは、いわば知識至上主義であり、「資格を取れば一人前」「国のお墨付きがあるから安心」という考え方が根底にあります。
受講生にとっても、資格取得は自分のキャリアや再就職の「保険」であり、社会的信頼を得るための手段と捉えられることが多いのが現状です。
一方、Super-J日本語コーチ養成講座は「実益志向」。重視するのは資格よりも、「実際の授業で使えるスキル」「目の前の生徒に貢献できる実践力」です。これは、現場至上主義とも呼べるもので、資格の有無よりも、学習者のニーズにどう応えられるかを最優先にします。Super-J®の受講生にとって最大の関心は、「就職に役立つか」ではなく、「目の前の生徒にとって役立つか」です。
スタンスの違い:上を向くか、現場を見るか
420時間講座を提供する多くの教育機関は、「文化庁届出受理」や「法務省告示校認定」などの“上からの認可”を権威とし、それをマーケティングにも活用しています。これらはVISA発給との結びつきによって、ビジネスとしての日本語教育を支えてきたモデルです。
しかしこのモデルでは、生徒が主に「就労目的」で在籍している現実があり、教育の本質である「学習成果」よりも「在留資格維持」が優先されがちです。
対照的に、Super-J®はVISA不要・文化庁無関係。そもそもオンライン時代において、世界中の日本語学習者を相手にできる現実に即し、制度に依存しない自由な教育を志向しています。対象となる生徒層は、日本国内で既に就労中の外国人や、海外からオンラインで日本語を学びたい社会人。彼らは自立した意思を持って学びに来るため、指導にも責任と実効性が求められます。
結論:誰のための「資格」なのか?
日本語教師にとって資格はあくまで「通過点」であり、教育の最終目的ではありません。むしろ「教えるスキル」「伝える力」「生徒を導く力」など「実践知」が問われます。
Super-J®は、国家資格ではなく「生徒評価」によって教師の価値が決まるという、新しい評価軸を提示する教育機関です。
生徒にとっての最優先事項は、「日本語をどう学ぶか」ではなく、「日本語という言葉を通じて、自分の人生にどんな意味や豊かさを加えることができるか」。この根本的な目的に応えられる教育こそが、今後の日本語教育のスタンダードになるべきだと、私たちは考えています。
メソッドの違い:「直説法」から「Life Oriented Approach」へ

英語の「禁止」か「活用」か —— 教育観の分岐点
日本語教師養成420時間コースでは、英語の使用が原則として禁止されています。この「英語禁止」の背景には、1980年代に構築された「直説法」中心の日本語教育思想があります。当時は中国、韓国、台湾といった漢字文化圏からの留学生が多数を占めており、英語話者は少数でした。このため、英語を使うこと自体が「公平性を欠く」とみなされていたのです。
しかし、時代は変わりました。現在では、アジア圏の多くの学習者が英語を理解でき、欧米出身者も含めて、英語は「民族語」ではなく、事実上の国際語として広く共有されています。それにもかかわらず、旧来の日本語教育界では未だに「英語は使ってはいけない」という考えが根強く残っています。
Super-J®では、こうした旧態依然とした制約を見直し、英語の効果的活用を積極的に推奨しています。英語は、誤解なく説明できる「橋渡し言語」であり、「学びの障壁を下げる道具」でもあるのです。
文法中心主義と「赤ちゃん神話」の落とし穴
420時間講座では、「日本語だけで教える=直説法」が原則です。そこでは多くの文法用語を使い、読み書きから学習を開始します。教師主導のパターン練習が繰り返される中で、学習者の思考力や理解欲求は軽視されがちです。
よく「直説法は、赤ちゃんが母語を学ぶように自然に日本語を身につけるために最適」と言われますが、この主張には大きな誤解があります。そもそも学習者は赤ちゃんではなく、高度な知的能力を持つ成人です。「できる」ようになる前に「理解する」ことで安心感と学習効率が高まるのです。
英語の助けもなく複雑な文法を日本語のみで説明するという環境は、多くの学習者にとって過度なストレスであり、日本語習得を断念させる一因ともなっています。
Super-J®が提案する「Life Oriented Approach」
Super-J®では、「文法のための文法」ではなく、学習者の生活の中で必要な文法を重視します。
講師が一方的に文法用語を教えるのではなく、学習者の使う専門用語を講師が学び、生活に即した日本語をともに構築する。それがSuper-J®のアプローチです。
また、私たちは教授法を固定せず、生徒に応じて柔軟に使い分けます。たとえば、完全に日本語だけの空間を意図的に創出し、異文化対応力を鍛えることもあります(=直説法の応用)。しかし、その際も学習者の理解が追いつかないと感じたら、英語を媒介にした説明(間接法)へ即座に切り替える柔軟性を持っています。
このように、生徒の「今・ここ」に合わせて方法を選ぶのがSuper-J®の哲学です。私たちはこの柔軟で多元的な教育観を「Life Oriented Approach(生活密着型教授法)」と呼び、固定的な「〇〇式」や「〇〇メソッド」に依存しない教育を実践しています。
結論:教育の主人公は誰か
結局のところ、教育とは教師のためのものではなく、生徒のためのものです。
Super-J®の「英語推奨」や「メソッドの柔軟性」は、すべてこの視点に基づいています。
学習者の生活、感情、目的――それらに寄り添う教育こそが、次世代の日本語教育のあるべき姿であると、私たちは信じています。

市場の違い:「学生市場」から「社会人実務市場」へ

日本語教師養成講座420時間の対象:学生中心の「文法」市場
日本語教師養成講座420時間コースは、その対象市場として学生層を想定しています。多くの場合、講座修了後の活躍の場は「留学生向け日本語学校」や「海外のボランティア現場」となります。学習者の主目的は、JLPT(日本語能力試験)合格や進学準備などであり、それに合わせた「文法中心の国語的授業」が提供されます。
その結果、教育現場では「先生」が「学生」に知識を一方的に与える構図となり、パターン化された授業と教材が主軸になります。特に、定年後に教職を志すシニア層や、海外での就労を目指す方々にとって、420時間は「資格」としての魅力が強調されますが、その教育モデルはあくまで「合格支援」に向けたものであり、実社会との接点は限定的です。
Super-J日本語コーチの対象:プロフェッショナルを育成する「実務型市場」
一方、Super-J®がターゲットとするのは社会人市場です。対象は、ビジネスパーソンや政府機関関係者など、実務の中で日本語を活用する必要がある人々。彼らにとっての日本語は、単なる語学ではなく、業務遂行や人間関係構築のツールです。
このため、Super-J®ではJLPTなどの試験は目的ではなく、あくまで学習の副産物としての「結果」と捉えます。授業内容は、学習者が直面する状況に応じてフルカスタマイズされ、文法も語彙もすべては「使える日本語」であるかどうかが基準になります。
教師ではなく「コーチ」として:対等なパートナー関係
Super-J®では、講師を「コーチ(Coach)」、学習者を「プレーヤー(Player)」と呼びます。教師が主導し、知識を伝えるのではなく、生徒の能力を引き出す伴走者としての役割を担うからです。
一方、日本語教師養成420時間コースでは、「先生」と「学生」という伝統的なヒエラルキーが維持されており、知識の一方通行的な伝達が教育スタイルとなります。この関係性自体が、「資格取得」=「自己実現」という志向性と深く結びついています。
つまり、教える側の「理想の自分像(=先生像)」を追求する人には420時間が適しており、学ぶ側の「成果」を最大化することに軸足を置く人にはSuper-J®がフィットします。
海外市場にも広がるSuper-J®の評価
加えて、Super-J®は海外市場からの需要も拡大しています。特に、国際的な感覚を持ち、生活と業務の文脈で日本語を学ぼうとする外国人にとって、Super-J®の「生活密着型指導」は強く共感を呼んでいます。既に、アジアや欧州の一部語学機関では、Super-J®修了生の採用を前提とする人材基準を導入しており、その評価は国境を越え始めています。
教育観の根本的なシフト
「先生になるために学ぶ」のが420時間、「人の役に立つために学ぶ」のがSuper-J®。
資格取得がゴールの学生市場に対し、学習者の成果がゴールとなる実務市場。
知識中心の講義に対し、経験と変化に伴走するコーチング。
このような市場の違いは、単なる対象年齢や学習目的の違いではありません。
それは、教育観そのものの違いを映す鏡なのです。

「スーパー日本語コーチ」養成講座は、世界標準を意識した養成講座です。
英語を活かし効率的に教える。
現在、多くの日本語学校では、初級の段階から日本語のみで教える「直接法」が一般的です。その理由として、「英語を使うと他言語話者への差別になる」と説明されることがよくあります。この考え方は、英語が特別な存在だった半世紀前ならば一定の説得力があったかもしれません。
しかし21世紀の今、英語はもはや一国の「民族語」ではなく、世界中の多くの人々が基礎的に理解する国際共通語となっています。にもかかわらず、初心者にとって完全に未知の日本語のみで授業を進めることが、どれだけ非効率でストレスフルかは想像に難くありません。
たとえば、あなた自身が中国語やアラビア語を学ぶとき、最初から現地語だけで教えられたらどう感じるでしょうか? 多くの学習者が最初の段階で挫折してしまう日本語教育の現状には、この非現実的なアプローチが一因としてあります。
また、「英語を使わない方が誰でも教えられる」という点から、教師養成講座の対象者を広げるマーケティング的意図が背景にあるとも言われています。
私たちSuper-J®では、学習者の視点に立った現実的で柔軟なアプローチとして、英語を有効に活用し、理解の促進と学習効率の最大化を図っています。

- 日本語の約20%は英語由来 ― 言語の進化を味方に
現代の日本語には、ジャケット、イヤリング、コーヒーなど、英語由来の単語が数多く存在します。実際、日本語語彙の約20%が英語からの借用語であるとも言われています。そしてこの傾向は、今後さらに加速することが予想されます。
たとえば、「テーブル」という言葉を使う人はいても、「食卓」という言葉を日常で使う人は少数派になりつつあります。このように、日本語自体が英語を取り込みながら柔軟に進化しているのです。
こうした現実を踏まえるなら、英語を活用しながら教えることは、「本物の日本語から逸脱する」のではなく、むしろ現代のリアルな日本語環境に即した、自然な学習支援のかたちと言えるでしょう。
Super-J®の日本語教育は、教える側の都合や論理ではなく、学習者の理解と成長を最優先に設計されています。それが、私たちが掲げる「学習者本位」の姿勢です。
日本語だけでなく、「日本」を教えるという使命。

―言語と文化をともに伝えるスーパー日本語コーチのあり方―
近年、日本語をある程度流暢に話せるにもかかわらず、日本社会との間に軋轢や誤解を生む外国人コミュニティが注目されるようになっています。これは単なる“言葉の壁”ではなく、日本語教育が日本文化や歴史、価値観への理解を十分に育んでいないことに起因する、深刻な教育課題と私たちは捉えています。
多くの日本語教師養成講座では、文型の習得や語彙の暗記、テスト対策といった形式的なスキル獲得が中心で、「日本語が生まれた社会や文化」への洞察は後回しにされがちです。その結果、学習者は言語そのものを習得できても、その背景にある日本社会との接点や敬意を持つ視点を持てないまま、日本に馴染めずに終わってしまうケースも少なくありません。
同時に、日本語を母語とする私たち日本人にとっても、自国の文化や歴史を“他者に伝える”経験は日常的にはほとんどありません。だからこそ、日本語教育に関わる者には、単なる語学指導者としてではなく、「日本語とともに“日本”を伝える」文化の橋渡し役としての自覚と責任が強く求められています。
私たちスーパーJ®は、この課題と真摯に向き合い、言語と文化の双方に深く切り込み、真の理解へ導く「スーパー日本語コーチ」の育成を目的としています。
日本語の文法や語彙の指導にとどまらず、「空気を読む」「行間を感じ取る」といった日本語特有のハイコンテクストな感性にまで踏み込み、学習者が "ことばの奥にある日本”まで掴めるよう、丁寧かつ的確に伝える力を養成します。
さらに、こうした包括的な教育力を客観的に評価する指標として、J-CLUE(Japanese Culture & Language Understanding Evaluation)を独自に開発・実施しています。これは、語学教育者にとって必要な日本文化への関心と基礎知識を英語で測定する、やさしい評価ツールです。グローバルに活躍する日本語コーチを目指す上で、不可欠な素養を確かめるものとなっています。
「言語はツール」で終わらせず、その“ことば”が生まれた世界と価値観ごと伝える教育へ――
これこそが、私たちが育てる「スーパー日本語コーチ」の出発点であり、これからの日本語教育に求められる新たな使命だと、私たちは信じています。
Super - J の設立の背景や既存の養成講座・日本語教育との違いにご興味をいただいた方は、お気軽にお問い合わせください。
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